米国スリーマイル島の原発事故で日本の「有識者」はどう反応したか?

  
 

米国スリーマイル島の原発事故とは(wikipedia)



原発推進派動揺悲鳴録

 スリーマイルアイランド原発事故は、日本の原発推進派に大きな衝撃をもたらした。「金科玉条のようにしてきたわれわれの安全性の主張が足もとをすくわれた」(北陸電力能登原発建設準備事務所 −一九七九年四月七日付北国新聞、以下すべて七九年)のである。

 土光敏夫経団連会長(のち名誉会長)も、動顛して口走った。「日本で起こったら、将来の原子力発電は絶望的になるだろう。失礼な話かもしれないが、米国で良かった」(四月四日付日本経済新聞)。そして、慌ててつけ加えた。「こうしたことがあるから、世の中は進歩するんだよ」(同日付読売新聞)。
 動揺を押し隠し、衝撃を和らげようと、彼らはさまざまに言いつのる。その悲鳴の数々を、拾い集 めて記録に残しておくとしたい。

 まずは電力業界の決意表明”からー
「かつて異端者裁判にいじめ抜かれ、疲れ果てたガリレオが「それでも地球は動いている”とつぶや いたように、今後に予想される原子力批判の嵐の中でわれわれは「それでも原子力は安全で信頼でき る」と主張したい」(四月一二日付電気新聞「論壇」)。

 そこで、主要には二つのことが、くり返し主張された。まず事故直後には「日本では起こらない」 ということ。代表例が三月三〇日の原子力安全委員長談話である。そして、ひとまず当面の危険を回 避した後には「たいした事故ではなかった」ということ。代表例としては、朝日新聞の一連の報道が 挙げられよう。

 日本の原発は超特別製

 「日本では起こらない」との主張から見ていきたい。四月一二日、記者会見での浜口俊一電気事業連合会事故対策委員長・関西電力常務の言。「日本ではスリーマイル島事故のような重大事故は起きたことがなく、またそのような事故を起こさないよう十分、安全性を見込んで運転している」。どうやら実際にそうした事故が起きるまでは同じことを言い続けるつもりらしいが、その根拠は一体どこにあるのか。

 『週刊読売』四月二二日号のコメントで、早川正彦科学技術庁原子炉規制課長(のち工学試験センター原子力安全解析所副所長)は「スリーマイルでは明らかに初歩的なミスを何重にも重ねているわけですね。これは日本の原発事情をよく知っていれば考えられないことだとすぐわかりますよ。その意味では、私どもはそれほどショックを受けてませんね」と言い、東京電力の平川隆男原子力開発本部副部長(渉外担当)は「お粗末な事故のようですね。まずウチの原発では、あんな馬鹿なことは起こりませんよ。スリーマイルの場合、人為的なミスと言われてますが、構造的にも欠陥があったんじゃないかな」と語っている。

 日本では起こらないことの根拠として、当初盛んに言われていたのが、「初歩的なミス」「人為ミ ス」説だった。勢い余って、こんな発言も出てくる。「人間的要素が加わったために大事故になって しまった。「運転員が、故障の起きたときに、何もしないで逃げ出すか、やはり何もしないで寝てい れば、事故は大きくならなかった」と関係者たちはいっているようですがね」(大島恵一東大工学部原子力工学科教授ー『原子力工業』七月号)。「これはNRCの委員の一人が言ってたことだが、あのとき運転員がみんな逃げ出して何もしなかった方が、もっとうまくおさまっただろう、という見方もある」(大熊由紀子朝日新聞科学部記者I『朝日ジャーナル』七月一三日号)。 大熊記者はともかく、大島教授には伝聞だからとの言い逃れは通用しないはずなのだが。

 事故を起こしたのは、バブコック&ウィルコックス社製のPWR(加圧水型軽水炉)だった。「いまから考えれば幸いなことに、バブコック&ウィルコックスの技術を日本は入れていなかった」と守屋学治三菱重工会長は、五月末ころに開かれたとおぼしき座談会で言う。「同じPWRでも、私どものやっているウェエスチングハウス社の方式とバブコック&ウィルコックス社との比較を個々にやりますと、こんどのバブコック&ウィルコックス社で起こった事故に関連した部分の機械は、相当違っております」(『経団連月報』七月号)。
 そしてBWR(沸騰水型軽水炉)を製作している東芝の佐波正一副社長(のち社長)は「ご承知のとおり、BWRとPWRは根本的に違うもので、BWRではスリー・マイル島事故と全く同じことは、まずというか、絶対に起こらないでしょう」と言う(同座談会)。

 それぞれどこがどう違うかの細かい話は省略して、右の座談会で事故を大きなものにした最重要点 と指摘されている加圧器逃し弁の開き放しに関する証言を抜き出してみよう。「私は素人ですから、 工学的に安全性を説明することはできません」とケンソンする有沢広巳日本原子力産業会議会長いわ くー日本の場合は逃し弁があいたら、必ず閉まる」。
 その有沢氏を「大先輩」と呼ぶ守屋三菱重工会長が補足する。「逃し弁の構造についても、あけっ ぱなしになるのは困るので、どんなことがあっても、一ペン開いて、圧力を下げれば、さあっと閉じ る構造になっている」。

 九州電力の玄海一号炉(三菱重工製)で、加圧器逃し弁が開いたまま閉まらなくなる事故が起きた のは、この年の一二月三日のことだった。
「日本でECCSが動いたら、それは相当な事故で大変なことですよ」と有沢日本原子力産業会議会 長が言うECCS(緊急炉心冷却装置)の作動が、関西電力大飯一号炉において、品質管理の「初歩的ミス」から誤って起きたのは、座談会での発言時から二ヵ月も経たない、七月一四日のことである (なお、七六年一月一六日には、日本原子力研究所の動力試験炉で、ECCS作動のサインが出たにもかかわらず、炉内の蒸気圧が高くて注水に失敗したという事故も起きている)。
 同じ座談会で芦原義重関西電力会長が「水素をとるについては、アメリカの場合は、よそから持ち 込んだものですが、大飯の場合は水素をとる機械が初めからついていますから、自動的に働きます。 ですから非常に違う」と述べているのは、大飯以外の原発にはついていないことを忘れたものだろう か。

 炉型が違う、メーカーが違うとの主張は、四月三日の関西電力の「中間見解」をはじめとして、し ばしば強調された。これには原発推進派の福寿十喜鹿児島県川内市長ですら憤慨する。四月六日、全 国原子力発電所所在市町村協議会の代表団の一人として原子力安全委員会の吹田委員長らと会見し て、「国が、日本の原発は事故を起こした原発とメーカーが違うから大丈夫などということですます なら、原発は返上する」(七日付毎日新聞)。

 「日本なら、とても、あんなことはあり得ない」「アメリカはダメですよ」(森一久日本原子力産業会議専務理事―『原子力工業』一〇月号)と言うために、ありとあらゆる理由づけが総動員された。前出座談会での芦原関西電力会長発言。「アメリカとちょっと違うのは、わが国は唯一の原爆被爆国ですか ら、原発の安全性獲得に対する社会的な関心とか要請は、世界中で一番強いのではないか。そのた め、いろいろな規制、監視も、他国にその例をみないほど厳格です」「もう一つは、日本の雇用体制が 終身雇用制になっていますので、わが国の運転員は、若年時から同じところに長く勤務していますの で、段階的な教育、訓練を積み重ねており、発電所のすみずみまで、よく知っている。また技術レベ ルもそろっています。それに、アメリカのように分業意識が強くありませんから、いろいろ応用がきき、お互いの連携があって、故障等に即した対応ができる。そのほかローヤリティといいますか、 労働者の使命感も日本のほうが強いのではないか。これらの諸点がアメリカとは非常に違います。そ のためもあって、私は今回のような事故は、日本では起こらないと確信するのです」。
 かくて「アメリカでスリー・マイルー・アイラソドの問題が起ころうが、日本は悠然と自信を持ってやっていける時期がもうきているのではないでし太うか」と強弁するわけだが、さすかに有沢日本原 子力産業会議会長もあきれて、「これは驚いた。そこまできたのですかね(笑)」。

 「危険性神話」が崩壊した

 「たいした事故ではなかった」という主張を、次に見ていくとしよう。「原発というと、すぐに大げ さに考えるわげですよ。たとえば事故を起こしたアメリカのスリーマイル発電所でも、周りの人の被 ばくはほとんどとるに足らないものだったわけですよ」と、政府広報誌『時の動き』一〇月一日号で 宮島龍興原子力委員(のち理化学研究所理事長)が語っているように、原発一般の安全性の「証明」にも、この主張は用いられる。
 「事故は非常に重要だったけれど、そこから起こった人的被害はほとん どなかったというわけです。ということはね、多重防護システムがあったからこのくらいですんだ。 いままでの安全性への思想は間違っていなかったといえないでしょうか」と、村田浩日本原子力研究 所理事長(のち顧問)は、『文襲春秋』七月号の電気事業連合会広告で述べている。以下同趣旨発言。「大きな事故ではありましたが、原子力発電所の外部の人はむろん、発電所内の人にも、被害はあり ませんでした。このことは、原子力発電所の多重安全装置が、やはり有効であることを示します」 (有沢日本原子力産業会議会長ー前出『経団連月報』座談会)。「あれだけの操作ミスをやり、しかも機器 についてもきわめて問題のある型式の軽水炉であったにもかかわらず、現場の汚染はきわめて軽微で、 実際には避難の必要がなかったというのが真相です。いわばスリーマイルアイランドは「反面教師” のようなもので原子力発電の安全性を別の角度から保証してくれたとさえ思っている」(小林庄一郎関 西電力社長ー六月二五日付日本経済新聞夕刊)。
 「今度の事故は、安全審査的な意味、あるいは、純技術 的にとれば、逆に、原子炉の安全性が確認されたのだ、といえます。故障は生じたが、大事には至ら なかった」(大島東大教授ー『原子力工業』七月号)。「スリーマイル島の場合、あれだけひどいことをやったにもかかわらず、外に対しては実際上、物理的、人的な被害はなかった。ひどい「実験」だった が、基本的な原子力の安全の概念は、むしろ実証されたのではないか」(森日本原子力産業会議専務理事 ー八月一五日付朝日新聞)。

 そこで、「私は今度の事件ではむしろ危険神話が崩壊しだのではないか、と思う」といった言いか たまで現われた。「今度の事件では、非常にたくさんの機械や人間のミスが重なった。にもかかわら ず、このくらいにおさまったということは、『いったん事故が起これば壊滅的、悲劇的になる』とい ってきた『危険の神話』が崩れたことになると思います」(大熊朝日新聞科学部記者ー前出『朝日ジャーナル』)。

 大島東大教授は、『電力新報』五月号でも「いままで論争の的とされてきたECCSは働いている し、その意味では原発の安全性のシステムが作動し、その機能を果たすことを証明したともいえる」 と言っていた。これもだいぶ的外れなもの言いだが、よせばいいのに評論家・堺屋太一氏までが口真 似をして自らのトソチソカンぶりをさらけ出している。「こんどの事故も確かに危険性はあるが、逆 にいえば、放射能が洩れれば敏感に察知されるシステムは作動していると証明したことになる」(『週刊文春』四月一二日号)。

 「たいした事故ではなかった」との主張がエスカレートすると、「誰も死んでいない」という表現になる。『週刊新潮』四月一二日号で、福田信之筑波大副学長(のち学長)が言う。「自動車で年間一万人死んでも大きな記事にならんのに、このセソセーショナルな扱いは、どうみてもバランスを欠いてい ると思います」。

 大熊朝日新聞科学部記者ともなると、さらに具体的だ。「スリーマイル島の事故と同じころ都市ガ スも事故を起こし、何の罪もない人が一〇人死ぬというむごたらしいことになった。五月には北海道 の炭鉱で一五人も事故で亡くなった。ダムエ事でも、三、四月に六人亡くなった」(前出『朝日ジャーナル』)。
 木村繁同科学部長(のち調査研究室主任研究員)もいわくー「日本坂トンネルの事故など自動 車事故では毎年六千人の大が死んでいるじゃないですか。なぜ自動車反対といわないんですか。黒四 ダムの時だって、百二十人位が死んでいる。それに比べて、あれだけシッチャカメッチャカの事態に なったスリーマイル島事故でさえ、一人の死者もでていない」(『週刊ポスト』一〇月五日号)。
 評論家の竹村健一氏や作家の古山高麗雄氏なども嬉々として各種事故の死者を数え立てているよう だが、割愛しよう。

 「事故」ではなかった、という主張もまた、登場している。『原子力文化』六月号の山田太三郎もと 原子力委員だ。「こんどの事故にはいろんな見方があるんです。これが原子力界始まって以来の大事 件だという見方が正しいとは思いますが、反面死んだ人や大ケガした人がいるかといえば、そういう ことはなんにもないわけで、航空機の場合の『ニアミス』になぞらえて『ニアアクシデソト』である ともいえます」。

 原発か、ローソクか

 以上に、事故の衝撃を和らげるべく強調された「日本では起こらない」「たいした事故ではなかっ た」という二つの主張の例を掲げたが、もう一つ、「原発を停めたら停電だ」とするものもあった。 「夏の電力消費量のピークにこれまで原発が稼働率を高めて、不足を補ってきたんですが、これがな くなると、この夏、大停電が起る可能性もある」(評論家・堺屋太一氏ー前出『週刊文春』)といったもの。

 ちなみに、この年の夏、PWRの原発をもつ四国電力では七月の原発設備利用率はゼロ、八月が三 七・一パーセント、九州電力では七月がゼロ、八月が四三・ハパーセント、関西電力でも七月が二 二・五パーセント、八月が二六・〇パーセントでしかなかったが、停電には至らなかった。

 最後に、天谷直弘資源エネルギー庁長官(のも通産審議官)が、事故直後の座談会で語ったところを 紹介して、しめくくりとしたい。

 「原子炉だって、絶対に事故を起こさないものを作るとなれば、作れないことはないんでしょうが、その代わり、国民が負担する電気料はベラボウに高いものになる。原子炉を持てば持つことの危険は あるんです。一方、持だなければ持だないで問題はある。国民はローソクをとぼさなければならない かも知れない」(『財界』五月一日号)。










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